2017年6月15日木曜日

お使いの資格情報は機能しませんでしたと表示されてリモートデスクトップ接続できない

Windowsのリモートデスクトップで接続しようとしたところ、「お使いの資格情報は機能しませんでした」というメッセージが表示されてリモートデスクトップ接続ができませんでした。以前には接続できていたので不思議ですが、Windowsがアップデートされたのが原因かもしれません。リモートデスクトップ接続される側はWindows10で設定を見直しても問題ありませんでした。
他のパソコンで試したところそちらでは接続することができました。違いを見てみると、ログインユーザーがMicrosoftアカウントになっていました。Microsoftアカウントのメールアドレスとパスワードを入力するとリモートデスクトップ接続をすることができました。

2017年6月14日水曜日

アドレスにGIVIのリアボックスを取り付けてみた。これは快適だ。

スズキのAddressV125Sというバイクに乗っているだが、シート下のトランクの容量はフルフェイスのヘルメットを入れるとそれでいっぱいになってしまう。ハンドル下にポケットやフックがあるが、小物や買い物袋程度にしか使うことができない。そこでリアに追加トランクを取り付けることにした。
バイクの振動もあるし、雨風にさらされて使うものなので、変に安いものを買っても結局すぐにダメになりかねない。GIVI(ジビ)というメーカーがしっかりしたものを作っているようなのでそちらの製品を購入した。E300N2という型番のものだ。人気製品のようでAmazonで入荷するのに時間がかかった。

リアキャリアに取り付けるのに付属のボルドとナットを使うのだが、ボルトを回すための六角レンチと、ナットを回すレンチが付属していない。通常、こういう製品には必要な簡易工具がついているようなものだが、海外製ということだからか、ついていない。ちょっと痛い。
ナットは手持ちのペンチで挟んで保持することにし、六角レンチはホームセンターで調達してきた。リアキャリアの下という狭い箇所での作業なので、使用する工具もそれを考えておく必要がある。
工具さえあれば、面倒くさいだけで取り付け自体は時間の問題だ。ただし、振動を受けるものなので、しっかりと取り付けておかなければならない。

走行してみて、重量バランスは最初は少し違和感があるがすぐに慣れる。幅もそれほどないので、すり抜けも問題ない。

生活感のある話だが、もっとも入ってほしかったのが、スーパーで5つセットで売っているボックスティッシュペーパーだ。それについては余裕で入る。12ロールのトイレットペーパーもなんとか入った。
もう日常の買い物にはかかせないし、とても便利だ。

蓋をロックする機構にクセがあって、特に閉めるときが難しい。難しいというよりコツがある。上からスライドさせるようにパネルを押さえてロックする。コツをつかめば簡単に閉められるようになる。変な操作をすると、ロック機構がロック?することがあるらしい。説明書にその時の解除方法がかかれている。このあたりの作りの微妙さが海外製品らしい。

バイクにリアボックスを付けているのは、おっさんくさいので、かっこ悪いと思ったが、どうせおっさんだし、実用性の方が重要なので恰好は二の次だ。実際つけてみるとかっこ悪くもない。
便利で、一度使い始めると手放せなくなる類の製品になるだろう。

セブンイレブンのお弁当サービス「セブンミール」は時間の節約に最強

セブンミールというセブンイレブンのお弁当サービスがある。ウェブで予約しておくと、配達してくれたり、店舗で受け取ることができる。いつも利用しているのはおまかせ御膳という510円のもの。量がちょっと少な目で、体形に気をつけている私にはちょうどいい。一応は日替わりなので、毎日利用しても大丈夫だ。

最大のメリットは、夕食の買い物にかかる時間の節約。セブンイレブンというコンビニで受け取ることができるので、通勤途中にある店舗を指定して立ち寄れば、わざわざスーパーに行かなくてよい。受け取りは入り口入ってすぐにあるレジだ。店舗の中まで入っていく必要がない。歩く距離も最小限だ。セブンイレブンとしては、ついでに店の物をなにか買い物してもらうことを期待する部分もあるのかもしれないし、実際、その思惑通り、まんまとそうすることもあるのだが、特に必要なものがないときは、本当に最小限の時間しかかからない。貴重な生きる時間の消費を最小限にできて、他のことに時間をまわすことができる。

食の楽しみということもあるので、文字通り消化するだけの夕食ライフをセブンミールだけで送るというのは、味気ないものがある。しかし、いちおうは日替わりということと、味に関しては、うまいとは言えないが普通に大丈夫であり、安定した低カロリーという点もあって、これはこれでありだと思う。

ただ、日替わりとはいえバリエーションがまだまだ少ない。できれば365日メインのおかずが重なることがないというくらいバリエーションを開発してほしい。それから、オムニというウェブサイトで予約するのだが、その操作がやりにくいし、注文完了までクリックする回数が多すぎる。頻繁に利用するにはかなり面倒だ。支払いもクレジットカード等で事前にできるようにして、店舗では本当に受け取るだけにすればさらに時間短縮になる。店舗に入ってすぐにレジがあるとはいえ、並んでいる人がいると待たされてしまう。そればかりはしかたないかもしれないが、その時間すらもったいない。宅配ボックス的な暗証番号みないたもので受け取れるとか、なにかアイディアがほしい。
あと、まだまだこのサービス自体がマイナーなので店舗で新人の店員さんにセブンミールと言うと、どの銘柄のタバコかと聞かれることがある。セブンなんとかというタバコがあるので、タバコのことかと勘違いされるようだ。今さらだが、セブンミールの名前を変えるとか、店員さんの教育をするとか考えたほうがいい。

安くて、時間の節約になるセブンミールというサービス。一人暮らしの人も多いし、忙しくてせっかちな世の中。特に平日は仕事に固定的に時間を取られて、ただでもプライベートな時間が少ない。生きる時間をもっと作るためにも、こうしたサービスは有効だ。もっと宣伝して、クオリティを上げれば、利用者も増えそうなポテンシャルがある気がする。

フローリング床のホコリ対策で毎日ピカピカ

フローリングの床の部屋に住んでいるとよく分かるのだが、ホコリが毎日のように床に積もる。掃除機をかければいいんだが、毎日となると手間だ。
そこで見つけたのが、クイックルワイパー。ずっと前に買ったままほどんど使わず放置していたが、よく考えてみればそれを使えばいい。
クイックルワイパーとは長い柄の先にある板状の部分に紙製のナプキンのようなものを取り付けて床を拭き掃除できるものだ。考えてみればこれは本当によくできている。今まで使わなかったのがもったいなく感じる。

掃除機は重いし、電源コードがあるので、掃除をするのに「さあ、やるか」と、ちょっと踏ん切りがいる。クイックルワイパーだと軽いのでパッと取ってささっと掃除することができる。騒音がないので、時間を気にする必要がない。私はいつも出勤前の空き時間を使って掃除している。マンションなのでまだ就寝中の人がいる可能性を考えて近所迷惑にならないよう掃除機は使いたくない時間帯だ。狭い部屋なので、クイックルワイパーで掃除にかかる時間はたった1~2分だけ。静かなのでテレビを見ながらできる。

クイックルワイパーに付けて使う紙は使い捨てで簡単に取り換えできる。取り付けも4個所を指で押し込むだけの極めて簡単なもの。その押し込む部分が上側にあるので、取り外して捨てる時に汚れた部分を手で触る必要がない。この仕組みはなにかでパチンと紙を止めるような仕組みがあるのではなく、穴が切ってあるだけのところに押し込むという言い方は悪いが、貧乏くさいというか、しっかりした作りに思えないのだが、実はシンプルで十分なものだし、取り付けも取り外しもかえって簡単にできる。

壁と床の直角になった隅の部分もきっちり拭くことができるし、必ずしも床だけでなく、壁のように垂直な部分も拭くことができる。
これを毎日やるようになってからは、いつでも床がピカピカで気持ちがいい。クイックルワイパーなんてローテクで、原始的な掃除器具だと思っていたが、よく見ると実はちゃんと考えられているし、掃除能力も高い。フローリングのお宅には必需品だと思う。

svchost.exeのCPU使用率が高くてWindowsが重い

Windowsで何をやるにも遅いのでタスクマネージャーを見てみるとCPU使用率が100%近くになっていた。プロセスをみるとsvchost.exeというのが、90%以上のCPU使用率を占めている。
svchost.exeはさまざまなサービスのプロセスを動かすためのものらしいので、こいつ自体を止めるこことはできない。svchost.exeによって制御されているサービスのなにかが原因なので、それを探し出す必要がある。管理ツールの中にあるサービスを開き、あやしそうなものをひとつひとつ停止して見つけるしかない。
「Automatic Updates」というのを停止したところ、タスクマネージャーのCPU使用率が下がった。名前から考えるとWindowsのアップデート関連だろうか。止めて問題ないようであればスタートアップでの起動も停止しておいた方がいいだろう。

2017年6月13日火曜日

通帳記入を放置しておくと思わぬ落とし穴が、そして印鑑登録を何度も

最近は、まったく貯金通帳を使わなくなった。キャッシュカードで十分だからだ。通帳記入ができないので履歴が残らなくなるが、それは大昔にあきらめた。今、通帳記入をしても過去の履歴は全部記入されない。しかし過去の履歴がなにかの役に立つこともないし、過去の思い出を眺めていても、未来の幸せにはあまり関係ない。それより通帳記入に行く手間と時間を考えると、人生を浪費する分不幸だ。通帳記入しなくても普段の生活になんの影響もないので、通帳記入を完全に残したいというのは気持ちの問題でしかない。

ただ、盲点があって、貯金通帳をどうでもいいと思っていると、印鑑の方についても意識がなくなってしまう。その結果、銀行印がどれだったか分からなくなる。複数の銀行口座、複数の印鑑を持っていると、どの組み合わせになっているのか、もはや記憶にない。たまに銀行印が必要になった時に、適当に印鑑を使うと、印影が異なると言って突き返される。しかたないので、銀行印の再登録をしてもらったことが何度もある。幸い無料でやってくれるので助かるが、銀行にとっては迷惑だ。

ということで、以前間違えたときに付けたであろう目印が印鑑に書いてあった。「非銀行印」と書いてある。なるほど、これは銀行印ではないということだ。これならこの印鑑を間違えて使うことはないだろう。しかし、それが銀行印でないことは分かったが、どれが銀行印かは分からない。「非銀行印」ではなく「銀行印」と書いてあるものがないので困る。そして、結局、銀行でまた印鑑を再登録してもらった。こんどはちゃんとこの印鑑に「銀行印」と書いておく。

PowerDirector15を買った。ちゃんと使える動画編集ソフトに成長している

動画編集ソフトが必要になって、どういうのがいいか探していたところ、PowerDirector 15というのが売れているらしいことを見つけた。PowerDirectorと言えば昔にちょっと使ってみたことがあって、ものすごく使いにくかった記憶がある。とにかく、やたら落ちまくる。なにかひとつ編集するだびにセーブしておかなければならなかった。機能も十分とは言えず、歯がゆい思いをすることが多かった。
他にはEDIUSというのも使ったことがあって高機能でよかったのだが、ちょっと値段が高い。でも、やりたいと思ったことがちゃんとできるソフトだった。PowerDirectorも売れていて、インターネット上の評判も悪くなさそうなので、以前の悪いイメージを気にしつつも、値段はそれほどでもないし買ってみることにした。
PowerDirector 15にもいくつか種類があって、一番高いUltimate Suiteというのを買った。高いといっても1万4千円程度。これには、動画や音に様々な効果を付けたりするソフトも付属されている。だからちょっと高い。こうしたソフトを使えば、単なる動画編集にとどまらない変わった動画を作ることができる。ただし、使いこなすには、それなりの才能も必要だろう。

PowerDirectorを使ってみた感想としては、15作目ともなると完全に安定している。いくつか動画を作ってみた感じでは、落ちたことは一度もない。
動作も軽快とは言わないが、問題ない。例えばなにかクリックして瞬時に動作しない場合があっても、マウスから手を放すほど待たされることはない。エンコードも十分速い。
動画をトリミングして、並べて、音を付けて、タイトルを作るという基本的なことに関して、まったく普通に使える。動画をトリミングするにも、ちゃんと一コマずつ開始と終了コマを指定するような細かいこともできる。
トラックも100トラックまで作れるので十分だし、音やタイトルも並み以上の機能で編集できるようになっている。加えて、動画の手ぶれ補正や動画サイトへのアップロードといった付加機能もいろいろある。

ここまでちゃんと使えるのなら、素人が動画を編集するには十分だ。昔の基本的なこともまともにできなかった時代があっただけに、当たり前のことが当たり前に使えるようになっていることにちょっと感動した。でもその当たり前のことができるというのがとても大事だ。
たぶん、VideoStudio等の他社の同価格帯の製品でも同じようなものだと思うが、このクラスの動画編集ソフトで普通に使えるようになっていることを知って、浦島太郎状態になってしまった。

運送会社の待遇改善は必要だがサービス向上努力が不要ということではない

ヤマト運用からメールが来た。6/19から時間帯指定の区分が変更されるようだ。
インターネット通販をはじめとした物流量の増加と、サービス品質への高い要求から配達員に負荷がかかりすぎることが問題になり、そのことに対して利用者の理解もある程度得られていることから、サービスや運送料の見直しを行っているようだ。

まず、不払い残業等の法令違反は問題外であり、そのような点は直ちに改善する必要がある。低価格や便利なサービスは、ルールに乗っ取ってやるのが前提であり、ルール違反をしてそれを実現していたのでは意味がない。そのようなものは反則であり、サービスとは言わず、不正と言う。ただのブラック企業だ。

さらに再配達を何度でも無料でやっているのは、過剰サービスではないかという指摘がある。配達時間が細かく指定できるというのも、サービスが良すぎるという指摘がある。海外と比較した場合、考えられないようなサービスらしい。
配達員等の努力によって、そうしたサービスが提供されていることは、ありがたいことだと思うが、ただ、私は、海外と比較してサービスが良すぎるからサービスの質を下げていいということになると、それはどうかと思う。
もちろん、単純にサービスの受益者としてはサービスのレベルが高い方がありがたいということもあるのだが、もっと一般的な話として、企業努力や競争原理によってサービス等を向上していくのは悪いことではないからだ。
例えば、海外の配送業者が日本企業のサービスレベルが低いところを見て、そこに付け込んで独自のアイディアで参入してくるかもしれない。いくら配達員の負担があると言っても、よりよいサービスの提供を実現できる企業が登場したら、消費者は正直な選択をするだろう。また、高いサービスのノウハウは、海外進出にも有利だ。

宅配ボックスの設置にも言える。高いサービスを要求しなければ、そもそも宅配ボックスの必要性は考えもしないかもしれない。だが、宅配ボックスは配送業者、利用者双方にとってメリットがある。高いサービス水準の要求は、そうしたアイディアや工夫を生み出すもとになる。便利なサービスを作れば日本発として海外へも波及させられる。海外のサービス水準が低いから、日本のサービス水準も落としたらいいのではなく、逆にサービス水準の低い海外に日本の高いサービス水準を輸出するくらいでいい。

あくまで法律を守り、配達員を大切な社員として維持した上で、サービスの向上を目指すのは悪いことではない。

ソースとしての信憑性に弱いインターネットの記事

古い話だが「日本死ね」と書かれたブログだったか、ツイッターだったかが、国会で取り扱われたことがある。保育園に自分の子供を入園させることができない状況である日本に対して文句を言っているものである。
それはいいとして、思うのがインターネットのブログやツイッターに投稿された一般の人が書いた投稿というのは、特に事情がない限りはあまり特別に扱う必要はない。このブログもそうである。一個人が適当なことを書いているだけのものであり、なんとでも書くことができるし、責任もない。そのようないいかげんなものをひとつの事例として国会で取り上げるというのは違和感がある。

例えば、
「太陽は西から上る。これは絶対に全世界的に普遍的で正しいことだ。」
と、このようにインターメットには嘘を簡単に書くことができる。昇るではなく上るという誤字も間違ったまま書くことができる。そして、ご覧のとおり削除されることも訂正されることもない。これを読んでいる方も、その気になれば、同じようにいくらでもインターネットに適当な嘘八百を書くことができる。こんな情報を信用できるだろうか。信用できるわけがない。
実のところ、それはインターネットに限らないし、個人が書いた記事だけの話でもないのだが、インターネットの個人の記事は特に信用できない。わざわざ間違ったことを書かないだろうという性善説による期待はできるが、裏付けはない。

ひょっとすると、インターネットには、正しいことを書かないと、問題になることがあると考える人がいるかもしれない。例えば名誉棄損とか営業妨害等だ。だから責任のある記事が書かれなければならないと思われる人がいるかもしれない。
だが、そのような責任が伴うのでは、誰もインターネットに気軽に投稿できないし、個人の投稿に対していちいちそのような責任を求めるのは現実的ではない。一個人が十分な裏付け取材をして、個人的な感情や思い込みがないよう精査してから投稿するなんてことはしない。思いついたことを適当に書いているだけだ。
インターネットは、個人で気軽に投稿できる仕組みなので、望む望まざるにかかわらず、そうならざるを得ない。

寿司屋のチェーンを経営している会社が、インターネットの記事に対して裁判を起こしたことがあった。記事が名誉棄損や営業妨害になるということだ。当然ながらそのような裁判を起こしても意味がない。その案件は記事内容が事実かどうかということも判断材料としてあったようだが、仮に事実でないことを書いたとしても、インターネットの記事に対していちいち事実と異なるからといって裁判をすること自体ナンセンスである。よほどの悪意があるとか、なにか特別な事情があればどうか分からないが、ほとんどの場合においてはありえない。
インターネットに対して、いい加減な記事を書いても罰せられないという意味ではない。それ以前に、インターネットの情報を個人が無責任に書いているのは、はなから常識だ。100%信用できないのは周知の事実である。でたらめかもしれないと誰でも分かっている記事に対して、でたらめなことを書くなと言うようなものだ。
仮に間違ったことや非難、批判がインターネットに書かれているからといって、誰もそれを真に受けていない。あくまでひとつの意見として参考にするだけで、様々な可能性のひとつであるだけである。

2017年6月12日月曜日

50ccから125ccバイクに乗り換えて気が付いた危険なこと

以前50ccの原付バイクに乗っていたが、普通二輪の免許を取得したことで125ccのバイクに乗り換えた。エンジンの出力こそ上がったものの見た目は50ccの原付風だ。実際は一回りサイズが大きい。大きくなっても横幅はハンドルに手が届く範囲になるので、すり抜けも可能だ。

125ccになると、最高で80km/h程度出る。一般的な道路では80km/hまで出すことはないので、ほとんど問題がない。バイクは車体が軽い分加速が良く、信号待ちからの発進では車を大きく引き離すことになる。先日まで2000ccの車に乗っていて、それでスポーツモードに入れてアクセルをいっぱいまで踏めば、車の方が早いかもしれない。しかし、普段の運転でそのような燃費が極端に悪くなるようなことはやらない。通常の感覚の発進加速では、125ccバイクの方が圧倒的に速い。結果として、一般的な街乗りに関していえば、車より軽快でとても便利だ。

しかし、気が付かなかったし、今まで誰からも聞いたことのない盲点があった。誰もそのことについて言及しないので、そのことを書きたいためにこの記事を書いている。
125ccのバイクを運転していると、やたらと目の前に飛び出される目に遭う。それは自転車、原付、自動車、すべてが、いきなり目の前に飛び出してくるのだ。
道路の左の路地から原付バイクが左折合流して、走行している自分の目の前にいきなり飛び出してくる。それでブレーキ回避が必要になる。左端を走行中の自転車が、走行している自分の前でいきなり左端から右端へ進路変更する。それでブレーキ回避が必要になる。右折レーンで右折待ちをする車列の左を走行していると、右折待ちをする車列の中から、走行している自分の目の前にいきなり進路変更してくる。それでブレーキ回避が必要になる。そうやってやたらと、進路妨害をされるのだ。進路妨害というだけでなく、危険だ。以前の50ccの原付の時はそんなことはなかったが、125ccになるといつもそのような目に遭う。
なぜ、このようなことになるかというと、車体が小さい分、速く走れるからだ。自動車なら車線幅の大部分を占めてしまうが、バイクなら2台並走できるくらい余裕がある。余裕があって広々しているわけなので速度を出すことが可能だ。しかも加速がいいので、それを瞬時に実現できる。それは、自転車、原付、自動車の運転手の想像を超えていることで予想されていない。だから彼らには見えていないのだ。
信号待ちで発進をすると、バックミラーで見ると追いかけてくる車があっというまに小さくなって、あまりの車の遅さにびっくりする。それくらい125ccバイクは加速もトップスピードも速い。
このことは他の交通の運転手は気が付かないことなので、バイクの運転手側で十分に注意する必要がある。

質問の意図するところを答えずトンチンカンな回答をする政治家が多い

テレビのニュース番組を見ていて思うのは、国会議員等の政治家が記者からのインタビューを受けたときに、まともな論理によって答えられないことが多い。尋ねられたことの回答になっていなかったり、論理的に筋が通っていなかったりする。特に聞かれたくない質問をされたときにそうしたことが多いような気がする。

・仮定の質問に答えるのが政治家の仕事
「仮定の質問には答えられない」というのもその代表的な一例だ。政治というのは過去、現在そして未来について検討し、進めていくものだ。北朝鮮がミサイルを発射して日本列島に落下する可能性がある時どうしますか?と質問されて、仮定のことは考えてないというのはありえない。そうした仮定のことは当然考えているだろうが、答えられるかどうかということはある。しかし、それに対して「仮定の質問には答えられない」では答えない理由になっていない。
政治において、過去や現在のことだけでなく、先のことの可能性についてどう考えているのか尋ねられるのは当然のことだ。仮定であることが原因で答えられないのなら、なぜ仮定のことに答えられないのか具体的な理由も示すべきである。例えば、国家機密に該当するとか、それを言及することで良くないことが予想されるとか、複雑で簡単に言えることではない、といった言い方があるだろう。単に仮定の質問には答えられないというだけでは質問から逃げているようにしか見えない。
もちろんまずは回答しようという誠実な対応であるべきなのだが、答えられないとしても、本来は、普通に「これこれこれで答えられない」と申し訳なく言えばいいことだ。

・「しっかり」を連発する議員は頭が悪く見える。
「しっかり」という言葉もたびたび目にする。しっかりという形容詞を付加することで強い印象を与えることを意図しているのではないかと思う。しかし、それであればしっかりという形容詞を付けなかったら、しっかりとはやらないのかということになる。あまりにも度々使われているので、安っぽくなってしまって、良い印象を与えない。
では、しっかりの代わりに「確実に」とか「きっちり」とか、他の言葉に言い換えればいいとか、そういう問題ではない。普通に自分の言葉で話せばいいのだ。

・タレント議員は急に政治家みたいなしゃべり方になる
テレビタレントやテレビに頻繁に出演するコメンテーターのような人が、選挙に出馬することがある。
テレビに出演していたときは、普通に話していて親近感もあって印象がいいのだが、政治家になると、急に話し方が政治家風になって政治家を演じるようになる。それがとても滑稽だ。
なにごとも自然体が一番。肩の力を抜いて、普通にされてはどうかと思う。

・内閣官房長官の態度が横柄
内閣官房長官は、特に記者会見を受けているのを見る機会が多い。そしてしばしば横柄な態度のことがある。現在の内閣官房長官だけでなく、以前からそうした人がいる。
国家運営について記者会見を受けるというのも難しい仕事で大変ではあるが、態度が横柄というのは別問題だ。会見場にはメディアの記者しかいないかもしれないが、テレビカメラを通して国民が見ているので、その態度は内閣に対する国民の印象となる。
おそらく、内閣官房長官も、普段、人と接するときは、あんな態度ではないと思うのだが、何かの意図があってああいう不遜な態度を演じているのか、あるいはそっけない態度が冷静に見えると思っているのだろうか。
特に質問の意図することと関係ないことを答えはじめ、最終的に質問に対する答えとしては、意味をなしていないようなことがある。そのような回答は、まともに答えていないことを、記者も、見ている国民も気が付いているし、結局、良くない印象にしかならない。
日本だけでなく外国の政府のスポークスマンもあまり良い印象でないことがある。しかし、良くないことを真似る必要はない。むしろそうした態度を見て、いかに無作法で印象が悪いかを学ぶべきだ。
内閣官房長官は、頭がいいだけでなく、普通の態度、普通の話し方ができる人、論理的に意味の通ったことが言える人、記者の質問に対して関係ないことを言って言葉数の水増しや時間稼ぎをせず、答えになっていることをシンプルに言える人に務めてもらいたい。

上に挙げたすべてのケースについて言えるのは自然体で普通にするのが一番ということだ。

2017年6月9日金曜日

加計学園問題で再調査するようだが、菅官房長官ショボボーン必至か

加計学園の問題で、やっと再調査をはじめるということになったようだ。私は記者でもなければ、プロのライターでもない単なる一個人にすぎず、単なる一個人が好きなことを書いているブログに過ぎないので、言いたいことを言えるわけだが、とにかく見ていて痛々しい。その最たるものが菅官房長官だ。今までずっと再調査をしないと言ってきていたわけだが、その再調査をしない理由は文書の出所が不明だからというものだ。元事務次官が証言をしていて、現役の職員の中からも文書が存在するとの情報が報道され、実際に公表されたメールの内容や宛先等からも信憑性があるものであることは誰でも分かる。常識的に考えて、文科省内部に実在する可能性がかなり疑わしいものであって、出所が不明どころか、むしろ出所は明らかだ。文科省の中のパソコンやサーバーを調べればほぼ確実に出てくることが分かっているこの段階において、出所が不明というのは再調査をしない理由になっていない。そら出所を調べないんだから、出所は不明なままという、しょうもないトンチ問答だ。

この再調査で、おそらく文書が発見されるだろうが、そうしたら菅官房長官はどう言うつもりだろうか、これだけ散々ごまかし続けておいて、もはや何を言っても彼の言葉には説得力がない。なんの関係もなく、公共性もないし、興味もない一個人が風俗店に行ったという、聞いてもいない取るに足らない話を持ち出してきて、元事務次官の証言の信憑性を棄損しようとがんばっていたが、信憑性が棄損されたのは、他でもないそうした意図を完全に見透かされた言っている張本人の方である。新聞社とグルになってスキャンダルをほじくり返してきて、告発者への攻撃心むき出しになってどや顔していたが、あまりにも分かりやす過ぎて恥をかいただけである。

そうかといって文書が発見されなかったということにでもなったら、それこそ大炎上になるだろう。もう存在することは誰も分かっているのだから。

どのような展開になるか分からないが、今後のこともあるので、こうした低次元の話ではなく論理的思考力を持った人が国を動かすようになって欲しいので、メディアの記者のみなさんにはがんばっていただきたいという気がする。

2017年6月8日木曜日

シャットダウンとシャットアウトを混同してる?

最近テレビを見ていると街頭インタビュー等で、「シャットダウン」とう言葉を使っているのを見かけることがある。例えば、「そうした意見をシャットダウンするのは問題がある」「北朝鮮からの輸入はシャットダウンするべきだ」といった感じだ。どうにも違和感を感じる。シャットダウンと言って真っ先に思い浮かぶのがコンピューター等のなんらかのシステムを停止したり、電源を落としたりすることである。先の例で言えば、何かを停止するというより「締め出す」「受け入れない」というニュアンスで使われているように思う。それならば「シャットダウン」ではなく「シャットアウト」の方が自然だ。もちろん、重々承知の上であえて「シャットダウン」という言葉を選んで言っているのであれば別だが。
広く使われているMicrosoft製のOSであるWindowsの最新バージョンであるWindows 10では、電源を切る操作を「シャットダウン」と表記している。そうしたところで「シャットダウン」という言葉を目にする機会が増えてきていて、最近では「シャットダウン」と「シャットアウト」を混同しているのではないかという気がする。

2017年6月6日火曜日

Google Maps APIがIE11で正常に表示されない場合

Google Maps APIを使用した地図をInternet Explorer 11で表示した際に、地図のドラッグやマーカーのドラッグ等が正常に表示されない場合は、互換性表示になっている可能性があります。

IE11ウィンドウの右上の歯車アイコンをクリックし、表示されえたメニューから「互換表示設定」を選び、ダイアログの互換表示に追加されたウェブサイトに「google.com」がある場合は削除します。またローカル環境のサーバーのウェブページを表示している場合は、「イントラネットサイトを互換表示で表示する」のチェックもオフにします。

2017年6月2日金曜日

失敗確実なプレミアムフライデーではなく実効性のある対策を

プレミアムフライデーという月末の金曜日に通常より早く仕事を切り上げる取り組みがあったが、最近はほとんど聞かなくなった。すでに虫の息だ。もともと成功率は低いと思って期待していなかったので驚きはないが、予想通りすぎて残念ではある。

午後3時頃に仕事を切り上げて、一杯飲みに行ったり、ショッピングを楽しんだりと、ささやかな時間を楽しんでほしいという趣旨だったようだが、まずこの趣旨からして現実的ではない。大半の人はとっとと家に帰るのが実際だろう。家に帰ってYouTubeでも見て過ごすだけである。しかし、それで構わない。消費活動による直接的な経済効果は単なる見せかけであって、この制度の真価は、労働時間の縮小や生産性の向上にあるのだ。単純に考えると労働時間を減らすと生産性が下がると考える人がいるかもしれない。だが、長時間労働が常態化すると、それが前提になり、非効率にだらだら時間をかけるだけで、短時間で仕事をこなす努力をしなくなる。仮に仕事をさっさと終わらせても、周囲が帰らないのであれば気まずくてどうせ帰ることができないし、下手に早く帰ったりすれば暇だと思われて仕事を増やされかねない。人事評価にも響き、出世や給与にもかかわってくる。どうせ帰れないのだから、生産性を向上させるモチベーションなどはなく、労働者は残業を見越して労働力を温存させ、昼間から手を抜きはじめる。こうした濃度の低い、スカスカの生産性を変えることにつながらなければ、あまり意味はない。
生産性を上げて労働時間を減らすことができれば、労働者も企業もそして日本という国も幸せになるはずだ。

プレミアムフライデーだが、月に一回というのではあまりにもインパクトが小さかった。毎週というのなら、まだ存在感があったし習慣化しそうだが、月一回では感覚的にほとんどないのと変わらない。社会へ問題になるようなインパクトを与えないようにということは分かるが、忘れさられるほどインパクトがなかった。せめて、将来的には、毎週、最終的には毎日やるつもりだというくらい言っておいてもらいたかった。
失敗してはダメなわけではなくて、いろんなことに挑戦したらいいと思うが、今回のことを前例として、どうせやっても無駄というような空気にはなって欲しくない。むしろ、もっと成功する見込みのある方法でなければならないという反面教師にしてもらいたい。

本当は、プレミアムフライデーよりも、もっと現実的な対策を行ってほしい。
たとえば、サービス残業の温床となっている時間外手当込みの給与体系を禁止したり、裁量労働制の悪用をできないようにするほうが効果がある。時間外手当込みの給与というのは例えば月40時間分の時間外手当を時間外労働せずとも給与にあらかじめ含めておくというものだ。時間外労働をしていないにもかかわらず時間外手当が支払われているとみなされ、労働者にとって得になると考えられるため、合法と解釈されている。なんのことはない、はじめから時間外手当分の給与を含むことを見越して基本給を下げているだけだ。
こうしたサービス残業の温床になっているものは、あらゆる逃げ道を完全にふさぐことが必要だが、どうせあの手この手で時間外手当の回避策を講じてくることが予想できる。しかし、そのことも予想できるのだから、そうした回避策についても、発生するたびに即座に禁止できる体制を作っておけばよい。
さらに、時間外手当を高額に設定し、時間外労働をすればするほど会社が損害を感じるようにしたほうがいい。会社はそれだけの費用をかけて時間外労働を命じる価値があるかどうかを勘案しなければならない。時間外労働をする労働者は会社にコストをかけさせる悪となり、あまりにも目に余るようであれば、人事評価にも悪影響がでるようになるべきである。
はじめから給与を少なく設定しておく等の方法で、時間外労働前提の給与体系にさせないために、時間外労働の多い会社は、毎月の時間外労働の累積に応じて手当の乗率を指数関数的に上げていき、時間外労働が常態化しているととんでもない時間単価を支払わなければならないようにするなどの対策も必要だ。
これらは、特別な対策を言っているように見えるかもしれないが、実は時間外手当の趣旨そのままの実効性を持つようにするということだ。

毎日定時にきっちり帰る人と、毎日恒常的に残業をしている人では、現在の日本では、後者の方が評価される。後者のような人はその人自身のことだけを見ると、時間外手当がもらえるし、残業してまで仕事をたくさんしているように見えるので会社からの評価も上がり、いいことずくめのように見える。しかし、広い視野で見たとき、このような人がいると労働者同士で残業競争になり、残業手当前提の低い基本給になっていたり、人事評価を意識してお互いが足を引っ張り合う構図を作ってしまう。そのような形で時間外労働を強いられる労働者は、先にも書いたように、効率よく仕事をするどころか、わざと効率を落として時間稼ぎをすることになる。よく見ていると、毎日残業している人もいつも同じような時間に帰宅していたりする。仕事にも波があるはずなので、早く帰宅する日があってもよさそうなものだが、実は帰る頃合いを見て調整しているのだ。普通に効率を考えて仕事をしても本当に毎日残業しなければならないほど仕事があるのだとしたら、そもそも仕事の割り振りに問題がある可能性があるので、それならそのような窮状を会社に訴えなければならない。しかし、おそらくは時計をチラチラ見ながらソリティアでもやりつつ残業の演技をしている。そういうことは、やっている本人にとっても、会社にとってもつくづく不幸である。