2011年12月5日月曜日

口臭とプラーク徹底根絶 おすすめフロスと使い方

少し前の記事では歯間ブラシについて書いたが、さらにデンタルフロスを使い始めた。
細い紐というか、糸のようなもので、歯の間に入れて、歯の側面を磨くためのものだ。
ジョンソンアンドジョンソンというメーカーのものを購入してみた。

一本一本の歯の間を磨いていくのだが、手に持つフロスがすべって非常にやりにくい。
そう思っていたら、どうやら、指に巻きつけるとよいらしい、中指に2~3回巻きつけてやってみるとすべらなくなった。
一ヶ所の歯の間を磨くと、次を磨くときはフロスの別の部分を使う。菌が移るのを防ぐためらしい。それで、長さは上の歯だけで、50cmぐらい、下でも同じくらい使ってしまう。慣れるともっと短くできるらしいが、まだまだ練習が必要なようだ。

今は、ブラウンの電動歯ブラシで磨いた後、ポイントを磨く歯ブラシで磨き、さらに歯間ブラシで磨き、そしてフロスを使っている。さすがにフロスの段階までくると、もう汚れがないかと言えば、そうでもない。奥歯でフロスを使っていると、何か食べかすが出てきたことがある。歯ブラシでも歯間ブラシでも届かない、隣の歯と接触しているコンタクトポイントと呼ばれる箇所が磨けていないのだ。

さらにフロスで歯の側面の歯周ポケットを、ある程度磨けることを期待している。歯の間の歯茎はその周囲より高い位置にあることから、フロスをうまく当てることで、歯周ポケットに入り込むことがある。

そして、奥歯の奥も磨けてしまう。一番最奥の歯の奥側のしかも下の方というのはどうやっても磨きにくい。ポイント歯ブラシで磨いているが、フロスの方が強力だ。奥歯の奥にフロスを引っ掛けて磨く。この方法だと歯茎の位置まで磨ける。

歯ブラシではプラークが50%程度残ることがあるらしいが、フロスを使うことで10%程度まで減らせられることがあるらしい。
こうなってくるとプラークを根絶したい気分だが、私の場合は、仕上げに歯科医院で購入した、うがい薬で対抗していることにして、納得している。

直帰率改善とリピーターを求めるウェブサイト運営者殿へ

おもしろいブログを見かけた
ウェブサイトのリピーターを獲得するには、なにかを強要するなというのだ。
例えば、掲示板やコメント、ゲストブックに投稿することを求めたり、リンクを張るなら連絡するように求めたりすることを強要してはならないという主張である、。
そのようなことをすれば、訪問者の感情を逆なでするため、リピーターになってやるものか、ということである。
これは一理あり、またそうでもないこともあるだろうとも思う。

人間は感情で動くものである。物を買うにしても、人とのコミュニケーションにしても、感情が大きく影響している。それゆえに、人の共感を得られるようにすることは、ウェブサイトにおいても有利に働くことがあるだろう。
リピーターとなる訪問者を増やすという狙いがあるなら、むやみに強要するようなことは得策ではない(もちろん、リピーターを増やす意思がないなら関係ないかもしれない)。

私などは、ウェブサイト運営者の気持ちも察することができる面があるので、何かを書けといわれたら、書かせてもらってもいいし、リンクを張るときに連絡が必要だというなら、連絡することを受け入れないではない。それにもう少し、冷静に多面的に考えるかもしれない。
だが、多くの訪問者は訪問者側の立場、一点で物を見ている。

出所が分かるのであまり詳細に書かないが、先ほどのブログではホームページの訪問者を客であるとして例えられた文章も書かれていた。
ホームページの訪問者はホームページ運営者に情報料等のなんらかの対価を支払っているかということもあるので、客と言えるのか疑問としてあるが、どちらにしてもここで注目すべき点は、少なくとも客かそれに近い立場だと考えているということである。
このような発想はけっしてめずらしい事ではない。
それが、個人のウェブサイトであったとしても、訪問者はまるで客のような立場で見ていることが少なくない。

リピーターを求めないウェブサイトであれば、なんとでもできるのだが、もし少しでもリピーターを獲得したいならば、最初にウェブサイト自体のコンテンツに魅力があることを前提に、こうした訪問者に対する強かな運営も必要だろう。
いくらリピーターの欲しいウェブサイトであっても、クレーム等を行なってくるユーザーはその時点で必要なくなる。対応にかかる手間と、たった一人のリピーターによる利益では、割りに合わないからだ。一人ぐらいのリピーター減はウェブサイトから見てたいして影響がない。しかし、それを表立って表さない方が賢明だ。この手のユーザーは、感情で動くということからも分かるように、あまり頭脳的ではない。感情を逆なでせず、適当に相手を立てておいて、手早くあしらっておくのがよい。最初の時のクレームで怒りの感情を晴らしているので、ほとんどの場合すぐ収まる。
表向きには、あくまでユーザーサイドに立った表現を使う。

ただし、人は強要されないとできないということもある。公平さの確保や、利益を最大化するために、制限を強要するようなことは考えられる。利用者は、あくまで利用者の立場で発言する。利用者の声をすべて聞いていては成立しないこともあるのには注意したい。

沖縄防衛局長の発言の本質は沖縄に基地を作るということ

沖縄防衛局長が、環境影響評価書の提出に関して「犯す」という単語の含まれた発言をしたことで、話題になっていた。
この「犯す」という単語は婦女暴行を意味した例え話として使われたものと思われるが、言い回しに品がない。特に沖縄では以前、米兵による少女に対するわいせつ事件があったことが連想されるのもイメージが悪い。
同じ事を言うにも、柔らかい表現にしておけば、何の問題もなかったかもしれないが、うっかり当たり障りのあることを言ってしまったのだろうか。
ひょっとすると、局長にとって回答しにくい記者の質問に対する返答として、機嫌の悪い回答をしてしまったのかもしれない。

だが、しかし、所詮感情論だ。私に言わせるとくだらない。
この件に関する沖縄県知事の言動は、見た目とは裏腹に(失礼!)聡明な言動をしてきたこれまでの知事を思うと違和感を感じる。

沖縄県知事は今まで、沖縄県の基地受け入れについて、そうしたことができるような環境になっていないことを主張し、基地受け入れを拒否してきていた。
これは基地を受け入れさせたいのであれば、政府がそのための環境を作れ。ようは、求めるのなら、求める立場の努力で、沖縄県民が納得できる状態にしろということを暗に言っているのだ。立地場所か、金銭等を含む経済的な解決か、政府から沖縄県民の方を向いてお願いする心理作戦か、何が有効か分からないが、知事としては県民が反対する以上、知事も反対しないとしかたない立場なのだから、知事にYesと言わせたいなら、政府が妙案を自分で考えて県民の気持ちを変えてくださいと、言っているのだ。
これは、県民を代表する知事の立場を考えれば、筋の通った理にかなう構えであると思っている。
だからそんな知事には、うっかり口のすべった、まだまだ人生のあるたった一人の人の発言の1単語のことよりも、冷静で、見抜いた発言を期待してしまうわけだが、まあ、今は県民向けのパフォーマンスとしての意味もあるかもしれないということで納得しておいてもよい。

何が問題かというと、沖縄防衛局長が言っている内容が「沖縄にとって言い難いことは言わずに、しれ~と、ことを進めるのが当然だ」と言っているようにとれることの方が、はるかに大きい。
大人の世界や、交渉ごととして、そういう進め方があるということを、もっともとして考えることもいいが、沖縄県民の立場から見れば、正直でないやり方をしようとすることの方が、腹立たしいのではないだろうか。
政府は、沖縄県民に正面から向き合うつもりはなく、無視したり、知らん顔してやってしまおうというようにもとれるのだ。

また、沖縄県は県内に基地を作ることが決まったわけではないという立場ではなかっただろうか。
だとすれば、、先の沖縄防衛局長の発言は、そもそも意味が分からないことになるような気がする。まるで沖縄県に基地を作るつもりで、そのために事前には言わないとでも、言っているように聞こえるからだ。
沖縄県民が少なくとも現状において沖縄県に基地を作ることを許した覚えがないのであれば、何を犯すのだろうか?

そして、これら上記のことを含めても、よく分かるのは、何にしても日本政府は沖縄に基地を作るつもりだということ。それが当然のことのように進んでいることが垣間見えただけだろう。

アクセス解析で見る痛々しいキーワード

私は複数のウェブサイトを運用していて、それらにはアクセス解析を導入している。
アクセス解析ではGoogleやYahoo!から訪れた訪問者の具体的な検索キーワードを知ることができる。
また、サイトの中で、人気のあるページとそうでないページに偏りが出るのが分かる。

ちらほら見かけるのは痛々しい訪問者。
・労や代償を払わずして、ものを得ようとしているもの。
・ルールを破る方法を知ろうとするもの。
等々・・・セコさ、エゴイスティックさ、意地汚さ、情けなさ、様々なことを察してしまう。

特に多いのが、無料やフリーというキーワードで、他の語句と組み合わせて使われる。
たいていは、あり得ないうまい話を探しているのが見え見えである。

私は日頃から、こうしたものを見ていて、様々なことを考えさせられる。
ビジネス的に考えると、言い方は良くないが、あまり賢くない人達を、騙すとまでは言わないまでも、うまく利用することも手であろうということ。
また、こうした人達がインターネットの世界で、騙される人達だろうと。

質問サイトで質問を削除する もうそれが当たり前の時代

Yahoo!知恵袋という、ウェブサイトがある。
様々な質問をすると、答えてくれる人がいるというサービスだ。
質問する側も答える側も、同じサイトの利用者だ。ギブアンドテイクというか、ユーザー同士で問題を解決しようというコンセプトだろう。質問する側のモチベーションは分かるが、回答する側は人に親切にすることで気持ちよくなるのが目的かもしれない。あるいはシステム的になにかあるのかもしれないが、実はよく分かっていない。私はほとんど利用したことがないのだ。
それでも、以前にYahoo!知恵袋だったか、あるいはどこか別の似たようなサイトだったかもしれないが、私も質問に回答したことがある。もうどういう内容かすら忘れた。同じ質問に私以外にも回答をしていた人はたくさんいた。
しばらくすると、そのウェブサイトのシステムからメールが送られてきた。質問者により質問が削除されたという内容だった。この瞬間にバカバカしくなった。

質問者にとっては、問題を解決することだけが目的なのだ。自分自身の問題が解決されればそれで満たされるということだ。
削除せずとも、その質問項目が残されれば、今後同様の質問をしたい人がいた場合や、何かの質問に回答する人の役に立つことがあるかもしれないのだが、質問者からみたらそのようなことに関心がない。あくまで自分のことだけしか考えていない。
むしろ、質問が残ることは邪魔なのかもしれない。
せっかく回答をしても、削除されてしまうのでは、やってられない。
他の人のことや、回答者の気持ちを考えれば、削除する行為というのはあまりにも利己的だ。
私は、なぜ削除できるようになっているのか、システムに疑問にすら思う。

どうやら、こうした事は現在のインターネットの世界では常識なようである。このような無神経なことが、インターネットでは通常に行われている。
インターネットの初期やパソコン通信の時代には、ネットのマナーもよく叫ばれていたことだが、現在ではほとんどそうした話を聞かない。

人々にとってインターネットは、検索すれば答えてくれる便利な道具なのだ。しかも無料である。
検索の結果、表示される情報は、誰かが作ったものであるし、先ほどの質問サイトであれば、誰かが答えてくれているのだが、もはやそのようなことは意識されない。インターネットの先に人の存在を感じていない。
すべての人がそうではないし、どちらかといえば少ない人達かもしれない。だが、それなりの割合で含まれており、油断していると憤りを感じるような目に遭わされる。