2017年6月12日月曜日

50ccから125ccバイクに乗り換えて気が付いた危険なこと

以前50ccの原付バイクに乗っていたが、普通二輪の免許を取得したことで125ccのバイクに乗り換えた。エンジンの出力こそ上がったものの見た目は50ccの原付風だ。実際は一回りサイズが大きい。大きくなっても横幅はハンドルに手が届く範囲になるので、すり抜けも可能だ。

125ccになると、最高で80km/h程度出る。一般的な道路では80km/hまで出すことはないので、ほとんど問題がない。バイクは車体が軽い分加速が良く、信号待ちからの発進では車を大きく引き離すことになる。先日まで2000ccの車に乗っていて、それでスポーツモードに入れてアクセルをいっぱいまで踏めば、車の方が早いかもしれない。しかし、普段の運転でそのような燃費が極端に悪くなるようなことはやらない。通常の感覚の発進加速では、125ccバイクの方が圧倒的に速い。結果として、一般的な街乗りに関していえば、車より軽快でとても便利だ。

しかし、気が付かなかったし、今まで誰からも聞いたことのない盲点があった。誰もそのことについて言及しないので、そのことを書きたいためにこの記事を書いている。
125ccのバイクを運転していると、やたらと目の前に飛び出される目に遭う。それは自転車、原付、自動車、すべてが、いきなり目の前に飛び出してくるのだ。
道路の左の路地から原付バイクが左折合流して、走行している自分の目の前にいきなり飛び出してくる。それでブレーキ回避が必要になる。左端を走行中の自転車が、走行している自分の前でいきなり左端から右端へ進路変更する。それでブレーキ回避が必要になる。右折レーンで右折待ちをする車列の左を走行していると、右折待ちをする車列の中から、走行している自分の目の前にいきなり進路変更してくる。それでブレーキ回避が必要になる。そうやってやたらと、進路妨害をされるのだ。進路妨害というだけでなく、危険だ。以前の50ccの原付の時はそんなことはなかったが、125ccになるといつもそのような目に遭う。
なぜ、このようなことになるかというと、車体が小さい分、速く走れるからだ。自動車なら車線幅の大部分を占めてしまうが、バイクなら2台並走できるくらい余裕がある。余裕があって広々しているわけなので速度を出すことが可能だ。しかも加速がいいので、それを瞬時に実現できる。それは、自転車、原付、自動車の運転手の想像を超えていることで予想されていない。だから彼らには見えていないのだ。
信号待ちで発進をすると、バックミラーで見ると追いかけてくる車があっというまに小さくなって、あまりの車の遅さにびっくりする。それくらい125ccバイクは加速もトップスピードも速い。
このことは他の交通の運転手は気が付かないことなので、バイクの運転手側で十分に注意する必要がある。

質問の意図するところを答えずトンチンカンな回答をする政治家が多い

テレビのニュース番組を見ていて思うのは、国会議員等の政治家が記者からのインタビューを受けたときに、まともな論理によって答えられないことが多い。尋ねられたことの回答になっていなかったり、論理的に筋が通っていなかったりする。特に聞かれたくない質問をされたときにそうしたことが多いような気がする。

・仮定の質問に答えるのが政治家の仕事
「仮定の質問には答えられない」というのもその代表的な一例だ。政治というのは過去、現在そして未来について検討し、進めていくものだ。北朝鮮がミサイルを発射して日本列島に落下する可能性がある時どうしますか?と質問されて、仮定のことは考えてないというのはありえない。そうした仮定のことは当然考えているだろうが、答えられるかどうかということはある。しかし、それに対して「仮定の質問には答えられない」では答えない理由になっていない。
政治において、過去や現在のことだけでなく、先のことの可能性についてどう考えているのか尋ねられるのは当然のことだ。仮定であることが原因で答えられないのなら、なぜ仮定のことに答えられないのか具体的な理由も示すべきである。例えば、国家機密に該当するとか、それを言及することで良くないことが予想されるとか、複雑で簡単に言えることではない、といった言い方があるだろう。単に仮定の質問には答えられないというだけでは質問から逃げているようにしか見えない。
もちろんまずは回答しようという誠実な対応であるべきなのだが、答えられないとしても、本来は、普通に「これこれこれで答えられない」と申し訳なく言えばいいことだ。

・「しっかり」を連発する議員は頭が悪く見える。
「しっかり」という言葉もたびたび目にする。しっかりという形容詞を付加することで強い印象を与えることを意図しているのではないかと思う。しかし、それであればしっかりという形容詞を付けなかったら、しっかりとはやらないのかということになる。あまりにも度々使われているので、安っぽくなってしまって、良い印象を与えない。
では、しっかりの代わりに「確実に」とか「きっちり」とか、他の言葉に言い換えればいいとか、そういう問題ではない。普通に自分の言葉で話せばいいのだ。

・タレント議員は急に政治家みたいなしゃべり方になる
テレビタレントやテレビに頻繁に出演するコメンテーターのような人が、選挙に出馬することがある。
テレビに出演していたときは、普通に話していて親近感もあって印象がいいのだが、政治家になると、急に話し方が政治家風になって政治家を演じるようになる。それがとても滑稽だ。
なにごとも自然体が一番。肩の力を抜いて、普通にされてはどうかと思う。

・内閣官房長官の態度が横柄
内閣官房長官は、特に記者会見を受けているのを見る機会が多い。そしてしばしば横柄な態度のことがある。現在の内閣官房長官だけでなく、以前からそうした人がいる。
国家運営について記者会見を受けるというのも難しい仕事で大変ではあるが、態度が横柄というのは別問題だ。会見場にはメディアの記者しかいないかもしれないが、テレビカメラを通して国民が見ているので、その態度は内閣に対する国民の印象となる。
おそらく、内閣官房長官も、普段、人と接するときは、あんな態度ではないと思うのだが、何かの意図があってああいう不遜な態度を演じているのか、あるいはそっけない態度が冷静に見えると思っているのだろうか。
特に質問の意図することと関係ないことを答えはじめ、最終的に質問に対する答えとしては、意味をなしていないようなことがある。そのような回答は、まともに答えていないことを、記者も、見ている国民も気が付いているし、結局、良くない印象にしかならない。
日本だけでなく外国の政府のスポークスマンもあまり良い印象でないことがある。しかし、良くないことを真似る必要はない。むしろそうした態度を見て、いかに無作法で印象が悪いかを学ぶべきだ。
内閣官房長官は、頭がいいだけでなく、普通の態度、普通の話し方ができる人、論理的に意味の通ったことが言える人、記者の質問に対して関係ないことを言って言葉数の水増しや時間稼ぎをせず、答えになっていることをシンプルに言える人に務めてもらいたい。

上に挙げたすべてのケースについて言えるのは自然体で普通にするのが一番ということだ。