2012年8月31日金曜日

寄せ餌フィッシングみたいに無料、無料って、もういいかげんシラケるので、そろそろ進歩しませんか

私がまだ中学生か高校生だったころ、当時はDVDやBlu-rayなんてものはなくて、VHSというビデオテープにテレビ番組を録画して見ていた。テレビ番組の開始日時、終了日時、チャンネルを入力して予約しておけば、自動で録画してくれる。なにも難しくはない。
だが、私の母はそのビデオの録画予約ができなかった。そういう機械物は苦手だった。

少し前に、田舎に帰った時の世間話の中で、母から「最近、無料、無料とよく聞くが本当に無料なのか?」と訊かれた。
ちょうどテレビを見ていて、何かのCMが流れていたのだが、そこでもたまたま「無料」という言葉が流れたので、「ほら、また無料と言っている」と、訊かれた。
それに対して、私がなんて答えたかはっきり覚えていないが、おそらく否定するように答えたと思う。

言われてみると確かにそうで、世間ではやたらと無料という言葉が使われている。
なにをするにしてもコストがかかるはずなのだから、なにひとつ無料でできるわけがない。私自身や、これを読んでいるあなたに対しても、わざわざ世の中の誰かが無料でなにかをくれたり、なにかサービスをしてくれるような動機なんてない。
対価を支払って、物を買ったり、サービスを受けるのであれば分かるが、ただでもらえる必然性がないのだ。当たり前の話である。
もしも、無料のものがあるとしても、そこには無料でできる理由がなければならない。
必要なコストは税金で賄われているとか、他の方法で回収しているとかなら分かる。
本当に無料であなたにサービスする人が存在するとしたら、とてつもないお人好しか、最近よほどいいことがあって、いたたまれないほど誰かに親切にしたいとか・・・とにかく、普通ではない理由がある。そしてそんなことはほぼあり得ない。

自動車整備会社が「車検見積り無料」という、キャンペーンを展開していた。
たしかに車検の見積りは無料でしてくれるだろう。嘘ではなく本当に無料のはずだ。
だが、見積りに来る人は車検がしたい見込み客である。まさに車検が必要なカモが無料につられてやってくるのなら、そんなうまい話はない。
本当に見積りだけする人なんてほとんどいないし、見積りなんて言っても、パソコンの定形入力フォームに打ち込めば、自動計算してプリンターから出てくる。コストなんてほとんどかからない。その分の人件費は、それ以上の効果を考えれば微々たるものだ。

言うまでもない当たり前のことを言っているように思われるかもしれない。
そう、それを認識している分には問題ない。
インターネットでは、GoogleやYahoo、通話やゲーム、各種情報サービスが無料で提供されている。
そのようなサービスを受けていて、無料が当然と考えている人が存在しているフシを感じる。
無料がありがたいと言うのであれば、分からないでもないが、無料が当然と考えるとすれば危険を感じる。
無料には、無料でできる理由があるはずだ。無料であれば、懐が痛まないので、そうしてもらったほうが助かるだろう。だが、今言っている話は、どちらの方が自分にとって都合がいいかという話ではない。無料のサービスを受けるなら受けるとしても、なぜ無料なのかを意識しておく必要があるということだ。

企業が無料というのは本当に無料ではない。それ自体は無料でも、必ず何かの方法、どこかで回収しなければならない。
無料というのは、単に餌であり、オトリだ。
無料でできる意味を理解した上で、その無料を使うのは悪いことではないが、なぜ無料なのかを考えずに利用するのは、逆にいいように利用されるだけになるだろう。

無料に釣られて騙されるバカは放っておけばよいと思うかもしれない。
だが、以前、母は私に「無料と言っているのは本当に無料か」と訊ねた。
私の母が、ややこしい社会の駆け引きを考えて言っているのかどうかは分からないが、少なくとも直感的には、無料というのに疑わしさを感じているのではないかと思う。その直感は、正しい。
しかし、わざわざそのようなことを訊くというのは、ただで貰えるのなら、貰っておいた方が得なのではないかと、気持ちにゆらぎがあるからではないかと思う。
私の母は高齢で、それほど学がある人ではないので、少し心配に思うのだ。

人は無料という言葉に弱い。
その弱さにつけこむズル賢さと、無料に群がる意地汚さ。
そんなこと分かりきった上で、それを利用しようとする寒々しさ。
そう考えていると、無料ばっかりというのは、喜ばしい気持ちになれない。

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