2012年11月27日火曜日

「生き方」を読んで生きる意味がないことを再認識

先日、稲盛和夫さんという京セラの会長さんが書いた「生き方」という本を読んでみた。
著者は会社を作り上げた方なので、ところどころに企業経営者都合の考え方が見られて、少し嫌な感じがするのだが、それでも、企業経営者のような立場でなくても、読む意味のある記述はある。

読んでいて、途中までは、ああ、そうかもしれないなあ、そういう考え方もあるなあ、と思わされたりするのだが、最終的なところへ来るとわけが分からなくなる。
なぜかというと、肝心な根拠となるところに来るといつも宗教が出てきて、とたんに信憑性がなくなるのだ。宗教という確証のとれない、頭の中で創造して、どうとでも言えるようなものでは、裏付けとしては弱い。仮に宗教が実在するものだとしても、それを確かめる方法がない以上、もう、信じるか、信じないかの世界でしかない。宗教の存在に100%とは言わないまでも、せめて、かなりの「確からしさ」があってくれればと思うのだが、残念ながら、現状においてそのようなものは聞いたことがない。

宗教が存在することを示す根拠でありがちなのは、「過去数千年にわたって人類の文明はずっと神を崇め続け、今もなお続いている。それほどまでに長く続いているという歴史がある事実を考えると、神なり、宗教なりが存在すると考えるのは妥当ではないか」というようなものだ。これに対して、例えば「科学が発達していなかった時代、人間は自然の成り立ちの仕組みを知る術がなかった。それを説明する解決策として神のような存在を創りだしたのではないか。」という反論があるかもしれない。
そんなような議論になって、どちらの言い分が正しいとしても、最終的にはどちらにも決め手がない。神がいるにせよ、いないにせよ決定的な証拠がない。存在しないとは言えないかもしれないが、存在するとも言えないのだ。
そのような、どっちだか分からないことを土台にして組み立てられたものは根拠となりえない。

「生き方」という本の中では、度々宗教じみたものが出てくるので、「そんなもの、宗教を言ったらなんでもありだろう」と言いたくなる。それで、いよいよ読むのが辛くなってきた頃、ひとつ面白い部分が出てきた。
著者は、世の中、正しいことが正しくなるようになっているのではないか言う。その理由付けのひとつとして、宇宙が誕生し、人類が誕生した。その過程では稀な反応を繰り返し、生命の住む地球が生まれた。地球には数多くの生物が存在するが、ずば抜けて高度な知能を持つのは人類だけだ。そうまでに、ありえない偶然の確率を積み重ねた結果でなければ存在できない我々人類には、得体のしれない巨大な力が働いているのではないか。何かの意思がなければ、とても偶然だけでここまで来れるとは考えられない。というのだ。だから、その流れに逆らって生きようとしてもうまくいかない。なるべきことは、なるようになっている。
著者はだいたいそのようなニュアンスのことを言っていると私は受けとった。

著者の言いたいことは置いておいて、私が面白いと思うのは、これが神の存在の話だからだ。
仏像や十字架等を思い浮かべる宗教のことから、宇宙の話へは、すぐに結びつかないかもしれないが、これは広い意味での神の存在の話をしていると思う。

・・・申し訳ありません。書きかけです・・・

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